naradaisukikurabu’s blog

奈良が大好きな仲間のブログです。

歴史の重さ

般若寺の笠塔婆

奈良市・般若寺の境内の笠塔婆です。説明板によると、笠塔婆型の石塔では日本最古の作例だそうです。〈S)=2022年1月30日撮影

業平道

奈良県斑鳩町の竜田川の堤防上の道に、業平道の説明板があります。平安時代の歌人、在原業平(ありわらのなりひら)が、天理から大和郡山、斑鳩町を通り河内・高安の河内姫のもとへ通い、この道が業平道と呼ばれるようになったそうです。(S)=2022年…

佐保川の川路桜2022年(3月末~4月初旬)

奈良市・佐保川の堤防に、「川路桜」と呼ばれる樹齢170年の大きな古木があります。説明板によると、江戸時代末に奈良奉行だった川路聖謨(もとあきら)が佐保川などに1000本の桜を植えたと記されているので、その1本と推定されるそうです。そばには…

春日大社・影向之松

奈良市・春日大社の参道に一の鳥居のそいばに、影向(ようこう)之松があります。そばに説明版があり、「御神木」とされています。クロマツの古い巨木でしたが、1995年に枯れ、切り株として残っています。その横に後継の木が植えてあります。(S)=2…

般若寺の藤原頼長供養塔

奈良市・般若寺の境内に、藤原頼長の供養塔があります。説明板によると、崇徳上皇に仕え、保元の乱の謀主とされました。合戦の最中に矢が当たり、興福寺まで逃れましたが、落命したそうです。遺骸は般若山のほとりに葬られたと書いてあります。(S)=20…

般若寺の十三重石塔と相輪

奈良市・般若寺の境内に、十三重石宝塔が立っています。そばに相輪が説明板ととも設置してあります。相輪は石塔の頂上部分で、説明板によると、石塔創建時1253年ごろに造られた初代のもので、南北朝か室町期の地震で落ちて割れ、埋められていたものだそ…

平城宮式部省跡

奈良市・平城宮跡の復元朱雀門の東側に、式部省の説明板があります。式部省は文官の人事や勤務評定をを担当した役所だったそうです。(S)=2022年1月15日撮影

乙女山古墳

奈良県営馬見丘陵公園(河合町)には、古墳がいくつもあります。乙女山古墳もその1つです。説明板によると、全長130メートルの帆立貝式古墳です。 (S)=2022年2月26日撮影

平城宮二条大路と壬生門跡

奈良市・平城宮跡に、二条大路と壬生門の説明板があります。それにると、二条大路は幅約35メートル。壬生門は朱雀門の東側にあり、奈良時代後半は実質的に平城宮の正門として機能することなったそうです。(S)=2022年1月15日撮影

當麻寺の来迎松

奈良県葛城市、當麻寺(たいまでら)の境内に、「来迎松」と呼ばれる枯れた松の根があります。中将姫のお手植えと伝わります。芭蕉は「僧朝顔 幾死にかえる 法の松」と詠んでいます。(S)=2022年1月4日撮影

薪能金春発祥地の石碑

奈良市興福寺の境内に、「薪能金春(たきぎのうこんぱる)発祥地」の石碑があります。薪能は、平安時代中期に、興福寺で修二会(しゅにえ)に付随した神事として催されたのが最初だといわれています。演じたのは圓満井座で、後の金春座となります。(S)=…

隆光大僧正の墓石

奈良市の平城宮跡・大極殿の北側に、隆光大僧正の墓石があります。説明板によると、江戸時代に東大寺大仏殿の再建にあたり、将軍徳川綱吉に援助を勧めた僧だそうです。(S)=2022年1月15日撮影

大塔宮護良親王供養塔

奈良市、般若寺の境内に、大塔宮護良親王の供養塔があります。大塔宮は後醍醐天皇の第3皇子とされる。寺の本尊の文殊菩薩は、後醍醐天皇の勅願とされています。(S)=2022年1月30日撮影

當麻寺の仁王

奈良県葛城市、當麻寺(たいまでら)の東大門の仁王です。(S)=2022年1月4日撮影

當麻蹴速之塚

奈良県葛城市、當麻寺の参道に、當麻蹴速之塚があります。蹴速は野見宿爾と初の天覧相撲をとったとされています。(S)=2022年1月4日撮影

安倍晴明天文観測地

奈良県桜井市、安倍文殊院の境内の小高い場所に、安倍晴明の天文観測地の石碑があります。そばの説明板には103.18メートルの標高と、緯度・経度が書いてあります。(S)=2021年12月8日撮影

晴明堂

奈良県桜井市、安倍文殊院の境内の小高い場所に、晴明堂があります。平安時代の陰陽師・安倍晴明をまつっています。(S)=2021年12月8日撮影

安倍文殊院東古墳

奈良県桜井市、安倍文殊院の境内には西古墳と東古墳があります。東古墳は閼伽井窟(あかいくつ)とも呼ばれます。7世紀前半の築造とみられ、安倍一族の墓の可能性があります。(S)=2021年12月8日撮影

伊勢神宮への大道標

奈良県桜井市、安倍文殊院の境内に、伊勢神宮への大道標があります。説明板によると、寺にちなむ仁王の辻にあったものだそうです。正面には「右はせ(長谷)いせ(伊勢)」「左たへま(当麻)大坂(大阪)」と彫ってあります。(S)=2021年12月8日…

稗田環濠集落(2021年)

奈良県大和郡山市、稗田(ひえだ)環濠集落を見に行きました。環濠と大和棟の建物の景観が見られる場所です。(S)=2021年8月22日撮影

安倍文殊院の安倍仲麻呂の詩碑

奈良県桜井市、安倍文殊院の金閣浮御堂の前に、安倍仲麻呂の詩碑(歌碑)があります。仲麻呂はこの寺で生まれたとされる奈良時代の遣唐留学生で、歌は唐での望郷の思いを詠っています。「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」(S)=20…

賣太神社周辺の奈良北部図

奈良県大和郡山市、賣太(めた)神社に、案内地図「賣太神社周辺の奈良北部図」があります。奈良市の佐紀盾列(さきたてなみ)古墳群から賣太神社までの主な歴史的な建物・施設などが示してあります。また、稗田(ひえだ)遺跡の発掘調査時の写真や出土物の…

安倍文殊院西古墳

奈良県桜井市、安倍文殊院の境内に西古墳があります。説明板によると、大化元(645)年当時のまま保存されていて、国の特別史跡に指定されています。古墳内部の築造技術の美しさは日本1と定評があるそうです。(S)=2021年12月8 影

長皇子の歌碑

奈良市の近鉄京都線高の原駅の前に、長皇子の歌碑があります。歌は「秋さらば今も見ること妻恋ひに鹿鳴かむ山ぞ高野原の上」で、万葉集第1・84と記してある。(S)=2021年12月10日撮影

平城宮の造酒司の井戸跡

奈良市・平城宮跡に、造酒司の井戸跡があります。造酒司は宮で使う酒や酢をつくる役所だったそうです。(S)=2021年9月7日撮影

賣太神社の岩谷小波の句碑

奈良県大和郡山市、賣太神社に岩谷小波(いわやさざなみ)の句碑があります。句は「言霊(ことだま)の葉には秋なし神の森」です。神社が祭る稗田阿礼を詠んでいるようです。(S)=2021年8月22日撮影

賣太神社

奈良県大和郡山市稗田町の賣太(めた)神社は、古事記の語り部(伝承者)とされる稗田阿礼(ひえだのあれ)を祭っています。(S)=2021年8月22日撮影

唐院山城跡の説明板

奈良県川西町の唐院山城跡の説明板です。 和衆国民風土記によると、城主は戦国時代の大和武士、中村氏とされていますが、現在は城の名残はほとんどないそうです。

毘沙門町の説明板

奈良市・なら町に、毘沙門町の地名の案内板があります。説明によると、この地に昔、毘沙門天を安置した堂があったそうです。信貴山にあったものがそのあたりに捨てられ、町の人が安置したのだと書いてあります。(S)=2021年10月21日撮影

般若寺の平重衡の供養塔

コスモスで知られる奈良市の般若寺の境内に、平重衡(しげひら)の供養塔があります。平清盛の5男が重衡です。説明版によると、重衡は奈良に攻め込み、興福寺勢は般若寺あたりで迎え撃ちました。その後、源平の一の谷の合戦で重衡はとらえられ、最後は木津…